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執筆者の写真柴山信広

風呂で息ができない→餅が喉に詰まる→船のキャプテン→スキューバーダイビング

更新日:2021年11月17日

 僕は、よく幼少時に銭湯に行っていた。その銭湯には熱い湯船と、適温の湯船があり、小さなトンネルによって両方がつながっていた。当時6、7才だった僕は、泳げなかったが息を深く吸ってトンネルを潜り、その両方の湯船の中を行ったり来たりして遊んでいた。

 ところがある日、コンディションが悪かったのか、潜ろうとすると足が浮き溺れかかってしまった。 光の屈折で風呂の水が美しい模様を描く中、水をガブガブ飲んでもがいていると、僕の父ではない別の男の人が、軽々と僕の体を持ち上げて助け出してくれた。

 こういった非常時に、何故父ではなくよその大人が助けてくれたんだ、と思って父を探すと、彼は平然と洗髪していたのであった。何だかちょっとがっかりしたのと同時に、水がちょっと怖くなってしまった。  またその翌年だったか、家族だんらんで正月を迎えていた時のこと。僕は大好物だったキナコ餅を喉につまらせてしまったのである。だんだん苦しくなって、そのうち息が出来なくなり、僕はもがきながら喉の奥に指をつっこんだ。当時もみじの様(?)だった手の指を、口の奥に奥につっこむと、少しだけ餅に触れた。家族だんらんの楽しそうな声はだんだん遠のき、僕はこの和やかな雰囲気の中で死ヌンダ、と思った。


 しかし幸いにも餅を指の端がちょっとつかみ、咳き込むと同時に餅がピュッと畳に落ちた。 呼吸が出来るスバラシさと生きているヨロコビを、当時小さかった僕の体は「取り戻せた!」と思った。この時、僕は立ち上がってバタバタしていたようで、少し高見から目にうつった両親の姿を僕は忘れまい。両親は「何してんの?一人で。」といった感じに、落ち着きはらって座っていたのだった。それを見て、何だかまたちょっとがっかりしてしまったのだった。  そんなこんなで、僕は「呼吸ができない→水難事故→水泳はこわい」という感覚が離れなかった。実は20才になっても、浅いプールで100m泳ぐのがやっとだったのだ。今考えると体に力が入りすぎていたのかもしれない。そんな訳だから、海なんかもっと怖い存在だった。下に何がいるのかわからないし、海草にでも触ったら、その感触だけで溺れそうだった。プールは人工的な構造だし、際限があるから安心だが、海は限りなく広くて暗い。この海に対する何とも言えない怖さが、浜辺に立っただけでこみあげてくる。したがって海にはなるべく近づかないようにしていた。  


しかし一昨年、僕の海に対する恐怖感を理解できる機会があった。以前、私の未来をほとんど全て具体的に言い当てたハワイの占い師がおり、その人物が「あなたは前世で不思議な型をした船のキャプテンだった。そして戦いがあり、船が沈没していった時に自分も一緒に船もろとも海底に沈んでいった」と言うのである。 これは理屈では受け入れられない事かもしれないが、どこか自分が夢で見る光景と似ており、わかったような気がしたのである。

 昨年、会社で使用しているスポーツジムにスキューバー用の深さ5mのプールがあるので、勇気をもってダイビングスクールに入学した。

つまり、前世のカルマと今生のトラウマを克服しようと免許を取ることにしたのである。昨秋、水温が下がってきた伊豆の海で僕は海洋実習を受けた。潜ってみると海の上からでは到底わからない、沢山の魚、海草、貝がおり、まさに生命の宝庫であった。インストラクターと一緒に潜ったので安心し、ちょっと濁った海の中を沖に進んでいくと帰りのダイバーが、ぞくぞく向こうから来るではないか。まるでラッシュアワーの駅のホームの様だ。それまで海を怖がっていたのだが、その時、ダイビングを楽しんでいる自分がいた。勇気をもって、新しい視点に自分を移動させる事が出来たのかもしれない。  僕自身、デザイナーでもある。その為、色々な問題に直面し、解決しながら進まなくてはいけない。そんな時、不自由に思っても障害を避けず、問題に入っていく視点をもっていれば、ある種の自由を伴う新鮮なポジションに自分を移動することが出来る。 また、デザインのアイデアにしても、こういった所を大切にしていく事が非常に重要なのではないかと思う。 「視点の移動と拡大」ーこれは今年も僕の大きなテーマになるだろう。




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