1989年かねてから念願だった、インドに行った。ボンベイから列車に乗りバスを乗り継ぎ、ガネシュプリという村の中にあるお寺に向かう。目的は、そのお寺の主であるグルに会うためである。
飛行場に着きどんどん身も知らぬ現地のインドの人から1週間かけてロールプレイングゲームのように導かれ着いた所は、芝が綺麗であらゆる宗教が混在しているかのような大きいお寺だった。でも、彼女は、奥にひっこんだままで会えなかった。暇だったので、ケーブという場所で瞑想した。
1日目、2日目、全然つまらなくて、いくら3通りの呼吸法をしてもうまくいかず飽きていたのだが、3日目、リアルに絵がかけるくらいリアリティをもって川とボートがみえてきた次の瞬間、何か虫のようなものが体中を這っているような感覚がおそってきて目を開いてしまった。あたりは、何もかかわっていなかった。しばらく休憩をして、また瞑想を始めると、
暗い体の中の
尾骶骨の上あたりに位地する所に光るボールのようなもの
が出たり入ったりしている。
それに意識を向けると心臓が飛び出しそうなくらいドキドキするので、悪いことなのだと思い喉や呼吸器系に意識を向けた。でもそうするとやっぱり尾骶骨にボールのようなものが出たり入ったりする。もうしょうがないのでそちらに意識を向けたら、そのボールは、尾骶骨をはじけ出すように抜けて脊髄を通り、体全体や指の先々の内側を光り波動のようなものが広がっていった。その状態に身をまかせていると、自分の足から根っこの様な物が生えて、周りにいる人の足のうらとつながってしまった。
この感覚は、しばらく続き、お寺の中の運動場では、地球の裏側の人々までつながっていく感じがした。他人の気持ちや体に移行して、いままでにない--感覚であった。僕たちは、リンクしあっていたのだ。ただ生まれてきてから徐々に忘れてしまったのだということを感覚的に体で感じた。あの光はクンダリーニだったのだろうか。このことは3年くらいのあいだ、実体もなくデリケートで、もったいないので誰にも教えないでいた。
全ての金を使い果たして、90年1月ぐらいにブラブラして帰ってきた日本は、バブルが崩壊し始めてプロダクションやフリーのデザイナー、カメラマンがどんどん職を失っていた。ボクは、暇だったので、旅をしているとき心にひっかかっていたコンピューターによるデザインを研究してみようと思った。
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