美空ひばりさんと言えば、ご存知の通り、名作「川のながれのように」や「愛燦燦」・「真っ赤な太陽」などのヒット曲を出した歌手として有名です。いわばレジェンドのような存在。華やかな印象があり、順風満帆な人生を送られたように思われますが、その裏には実に波瀾万丈な人生がありました。 自分の信念を持ち、どんな困難が待っていようとも立ち向かっていく、そんな姿を誰もが知っているからこそ、今でもレジェンドとして存在し続ける所以なのかもしれません。ここで、簡単に彼女の人生を振り返ってみましょう。
美空ひばりさんは幼少の頃から、歌手になることを夢見て、NHK「素人のど自慢」に出場するも、審査員から「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という理由で、不合格になったり、父には歌手になることを反対されていました。しかしその後、その才能を買われて9歳で歌手デビューを果たします。また、役者としての才能も開花させていくことに。しかし、そんな彼女に数々の試練が襲います。とある舞台では、ショーを観に来ていた少女から塩酸を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院したこともありました。また、離婚や兄弟とのトラブル、相次ぐ肉親の死なども。でも彼女は、こうした困難にめけず歌いつづけました。
ただ、そうした悲しみ・寂しさを癒やすために嗜んでいた酒とタバコの量は日に日に日に増し、徐々に体を蝕んでいくことに。
晩年にはついに体を壊し、入退院を繰り返すように。体調が悪いながらも公演を行っていたりしましたが、1989年6月、間質性肺炎による呼吸不全のため52歳の若さで逝去されました。
しかし、没後の1989年7月、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる国民栄誉賞を受賞。彼女の生き様は、レジェンドとして今でも語り継がれています。
ここにマリオット・ディ・ナルド / Mariotto di Nardo [ 1394年 - 1424年]の「聖ステパノ伝」を表した祭壇画プレデッラ:聖ステパノの遺体を運ぶ航海/聖ステパノと聖ラウレンティウスの遺体の合葬という作品があります。
今でこそ、写真や映像・インターネットという情報保存伝達メディアがありますが、ここでは、絵によって一人の聖人の生き様が記録され、現代まで語り継がれています。ハイテクな情報保存伝達メディアがなかった時代には、文字や絵がその役割を担っていたようです。
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