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執筆者の写真柴山信広

縄文の話

更新日:2021年11月7日

昔々、人々が今の世の中を想像できなっかた事を話たい。

その当時は物流というような概念もなかった。狩で生計を立ってていた村(そこが何となく好きという事)と果実や植物の茎を糧にしていた村(季節や時期によっても違う)との間で保存はある程度していただろうがこれが余っているから交換したいという行為が起きた。きっかけは多々考えられるが、不漁不作、余剰物の発生などがあったのだろう。いずれにしても、決まった交換レートなどはなく、そのときの収穫量などによる希少価値などを話し合い、交換が行われていたに違いない。例えば今はオタクのこれが欲しいのだけれどコレしかないなけれどいいでしょ。と言う風にである。コレは縄文時代の事である。紀元前14000年頃 – 前1000年頃だから今から16000年前のことである。(この時の土器が素晴らしい。素晴らしい僕には無い感性はあったのは今は当然だと思う。土器の事はこのぐらいにしておこう。)




この時は既に大体日本列島は今の様に大陸から切り離されていた。これはアトランティス文明と後半に栄えたムー文明の後の名残だ。その二つの文化の最中に地球はアトランティスにすむ神(宇宙人)より大爆発を起こされた。それから大陸がバラバラになり地球が安定するまで年代は相当かかった。それからだいぶ経って今我々が知る大陸が備わった。だからこの時は今は大半の人が失っているテレパシーが未だに発達していた。思ったことが相手に伝わるのでまだ文字というものが無かったそうだ。そのような文字があまり見当たらない今とは違う文明が大変進化していたそうだ。だから地球に感謝して食べ物を頂いていた。それが大きな物々交換という市場を初めて作ったのでは無いだろうか。画期的な大発明だ。今からは想像出来ないぐらいきっとおおらかだった。だからこの大きな島に来た人達は「ここにすんでいい?」と聞いて「ああ、いいよ。」と言われた。ここに我々日本人のルーツがある。他のどんな国とも違う。日本海を隔て相当違う。日本という島は新・日本列島から日本人が消える日によるとムーの文明の香りがする時があるそうだ。自分もなにか分からない所があるとその本に頼って調べてしまう癖がついた。

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